トラウマ 扁桃体と海馬

高速道路を走行中に、すぐ前を走行するトラックの荷台から風にあおられて大きな板が飛んできたことがあります。それがフロントガラスに激突してクモの巣状になりました。死ぬかと思いました。その後しばらく体が震えて普通に走ることができず、時速50キロくらいでサービスエリアまで走りました。
それ以後、前の車から物が落ちると恐怖に襲われるようになりました。小さな紙などでもです。軽いPTSD(=心的外傷後ストレス障害)だと思います。
扁桃体は快・不快を判断する脳の器官で、強い感情にともなった記憶にも関与しています(長期記憶を作る海馬に働きかけるのです)。
扁桃体による記憶は漠然としています。蛇が出て怖かった人の場合は、草がガサガサしただけで恐怖を覚えます。僕の場合しばらくは小さな紙が飛んでも恐怖でした。
レーサーなどが事故の国に苦しめられるのも扁桃体(と海馬)が関与しているのでしょう。
<PTSDになると、海馬と扁桃体は体積が減ると言われていましたが、因果関係は反対で、海馬の容積が小さい人の方がPTSDになりやすいのだそうです。ベトナム戦争に行ってPTSDになった人の海馬は小さかったですが、一卵性双生児の同胞の海馬も小さかったので>

一般に、海馬が正常に働き始めるのは5~6歳以降と言われています。そのため普通はそれ以降の記憶しかありません。ところが、強い情動をともった記憶の場合は扁桃体が関与するため、もっと早期から記憶があります。
僕の場合は、4歳の頃の集団万引きが最初の記憶です。
数人で近所の駄菓子屋へ行きました。僕以外は小学生のお兄さんたちだったはずです、わけもわからないまま、年長者達が万引きをしているのを少し離れたところで隠れて見ていました。見張り役だったのでしょう。とてもドキドキしたのを覚えています。万引き実行グループが、お店の人に見つかって逃げてきたので一緒に逃げました。なんとか逃げられました。その時にタバコをかたどった砂糖菓子を、小学生からもらいました。そんな記憶です。
理由を知るまでは、なんでこんな記憶が最初の記憶なんだろうと嫌でした。情動を伴った記憶だけが扁桃体の関与によって早期から残るのですから、早期の記憶はたいていが嫌なものでしょう。
2歳の頃に父親が亡くなりその葬儀の光景を覚えている方がいました。白い死に装束を着て、頭に三角の頭巾をつけていた父親の姿です。
大正11年7月生まれで、大正12年の9月1日の関東大震災の時の記憶がある方がいます。タンスが揺れてそこから物が落ちてきた光景をありありと覚えているそうです。満1歳2カ月の記憶ということなります。
三島由紀夫の「仮面の告白」には、産湯の記憶が書かれています。「金のたらいの縁が光った」そうです。
子宮の中にいた頃の記憶があるという方もいます。
一番最初の記憶について尋ねる場合があります。その記憶がトラウマに関係している場合があります。保育園で大泣きをした光景を覚えている方で、その後不登校になった方がいましたが、関係あるかもしれません。
あまり小さい時の記憶がない人の方が、健全なんだと思います。
それ以後、前の車から物が落ちると恐怖に襲われるようになりました。小さな紙などでもです。軽いPTSD(=心的外傷後ストレス障害)だと思います。
扁桃体は快・不快を判断する脳の器官で、強い感情にともなった記憶にも関与しています(長期記憶を作る海馬に働きかけるのです)。
扁桃体による記憶は漠然としています。蛇が出て怖かった人の場合は、草がガサガサしただけで恐怖を覚えます。僕の場合しばらくは小さな紙が飛んでも恐怖でした。
レーサーなどが事故の国に苦しめられるのも扁桃体(と海馬)が関与しているのでしょう。
<PTSDになると、海馬と扁桃体は体積が減ると言われていましたが、因果関係は反対で、海馬の容積が小さい人の方がPTSDになりやすいのだそうです。ベトナム戦争に行ってPTSDになった人の海馬は小さかったですが、一卵性双生児の同胞の海馬も小さかったので>

一般に、海馬が正常に働き始めるのは5~6歳以降と言われています。そのため普通はそれ以降の記憶しかありません。ところが、強い情動をともった記憶の場合は扁桃体が関与するため、もっと早期から記憶があります。
僕の場合は、4歳の頃の集団万引きが最初の記憶です。
数人で近所の駄菓子屋へ行きました。僕以外は小学生のお兄さんたちだったはずです、わけもわからないまま、年長者達が万引きをしているのを少し離れたところで隠れて見ていました。見張り役だったのでしょう。とてもドキドキしたのを覚えています。万引き実行グループが、お店の人に見つかって逃げてきたので一緒に逃げました。なんとか逃げられました。その時にタバコをかたどった砂糖菓子を、小学生からもらいました。そんな記憶です。
理由を知るまでは、なんでこんな記憶が最初の記憶なんだろうと嫌でした。情動を伴った記憶だけが扁桃体の関与によって早期から残るのですから、早期の記憶はたいていが嫌なものでしょう。
2歳の頃に父親が亡くなりその葬儀の光景を覚えている方がいました。白い死に装束を着て、頭に三角の頭巾をつけていた父親の姿です。
大正11年7月生まれで、大正12年の9月1日の関東大震災の時の記憶がある方がいます。タンスが揺れてそこから物が落ちてきた光景をありありと覚えているそうです。満1歳2カ月の記憶ということなります。
三島由紀夫の「仮面の告白」には、産湯の記憶が書かれています。「金のたらいの縁が光った」そうです。
子宮の中にいた頃の記憶があるという方もいます。
一番最初の記憶について尋ねる場合があります。その記憶がトラウマに関係している場合があります。保育園で大泣きをした光景を覚えている方で、その後不登校になった方がいましたが、関係あるかもしれません。
あまり小さい時の記憶がない人の方が、健全なんだと思います。
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高速道路を走行中に、すぐ前を走行するトラックの荷台から風にあおられて大きな板が飛んできたことがあります。それがフロントガラスに激突してクモの巣状になりました。死ぬかと思いました。その後しばらく体が震えて普通に走ることができず、時速50キロくらいでサービスエリアまで走りました。
それ以後、前の車から物が落ちると恐怖に襲われるようになりました。小さな紙などでもです。軽いPTSD(=心的外傷後ストレス障害)だと思います。
扁桃体は快・不快を判断する脳の器官で、強い感情にともなった記憶にも関与しています(長期記憶を作る海馬に働きかけるのです)。
扁桃体による記憶は漠然としています。蛇が出て怖かった人の場合は、草がガサガサしただけで恐怖を覚えます。僕の場合しばらくは小さな紙が飛んでも恐怖でした。
レーサーなどが事故の国に苦しめられるのも扁桃体(と海馬)が関与しているのでしょう。
<PTSDになると、海馬と扁桃体は体積が減ると言われていましたが、因果関係は反対で、海馬の容積が小さい人の方がPTSDになりやすいのだそうです。ベトナム戦争に行ってPTSDになった人の海馬は小さかったですが、一卵性双生児の同胞の海馬も小さかったので>

一般に、海馬が正常に働き始めるのは5~6歳以降と言われています。そのため普通はそれ以降の記憶しかありません。ところが、強い情動をともった記憶の場合は扁桃体が関与するため、もっと早期から記憶があります。
僕の場合は、4歳の頃の集団万引きが最初の記憶です。
数人で近所の駄菓子屋へ行きました。僕以外は小学生のお兄さんたちだったはずです、わけもわからないまま、年長者達が万引きをしているのを少し離れたところで隠れて見ていました。見張り役だったのでしょう。とてもドキドキしたのを覚えています。万引き実行グループが、お店の人に見つかって逃げてきたので一緒に逃げました。なんとか逃げられました。その時にタバコをかたどった砂糖菓子を、小学生からもらいました。そんな記憶です。
理由を知るまでは、なんでこんな記憶が最初の記憶なんだろうと嫌でした。情動を伴った記憶だけが扁桃体の関与によって早期から残るのですから、早期の記憶はたいていが嫌なものでしょう。
2歳の頃に父親が亡くなりその葬儀の光景を覚えている方がいました。白い死に装束を着て、頭に三角の頭巾をつけていた父親の姿です。
大正11年7月生まれで、大正12年の9月1日の関東大震災の時の記憶がある方がいます。タンスが揺れてそこから物が落ちてきた光景をありありと覚えているそうです。満1歳2カ月の記憶ということなります。
三島由紀夫の「仮面の告白」には、産湯の記憶が書かれています。「金のたらいの縁が光った」そうです。
子宮の中にいた頃の記憶があるという方もいます。
一番最初の記憶について尋ねる場合があります。その記憶がトラウマに関係している場合があります。保育園で大泣きをした光景を覚えている方で、その後不登校になった方がいましたが、関係あるかもしれません。
あまり小さい時の記憶がない人の方が、健全なんだと思います。
それ以後、前の車から物が落ちると恐怖に襲われるようになりました。小さな紙などでもです。軽いPTSD(=心的外傷後ストレス障害)だと思います。
扁桃体は快・不快を判断する脳の器官で、強い感情にともなった記憶にも関与しています(長期記憶を作る海馬に働きかけるのです)。
扁桃体による記憶は漠然としています。蛇が出て怖かった人の場合は、草がガサガサしただけで恐怖を覚えます。僕の場合しばらくは小さな紙が飛んでも恐怖でした。
レーサーなどが事故の国に苦しめられるのも扁桃体(と海馬)が関与しているのでしょう。
<PTSDになると、海馬と扁桃体は体積が減ると言われていましたが、因果関係は反対で、海馬の容積が小さい人の方がPTSDになりやすいのだそうです。ベトナム戦争に行ってPTSDになった人の海馬は小さかったですが、一卵性双生児の同胞の海馬も小さかったので>

一般に、海馬が正常に働き始めるのは5~6歳以降と言われています。そのため普通はそれ以降の記憶しかありません。ところが、強い情動をともった記憶の場合は扁桃体が関与するため、もっと早期から記憶があります。
僕の場合は、4歳の頃の集団万引きが最初の記憶です。
数人で近所の駄菓子屋へ行きました。僕以外は小学生のお兄さんたちだったはずです、わけもわからないまま、年長者達が万引きをしているのを少し離れたところで隠れて見ていました。見張り役だったのでしょう。とてもドキドキしたのを覚えています。万引き実行グループが、お店の人に見つかって逃げてきたので一緒に逃げました。なんとか逃げられました。その時にタバコをかたどった砂糖菓子を、小学生からもらいました。そんな記憶です。
理由を知るまでは、なんでこんな記憶が最初の記憶なんだろうと嫌でした。情動を伴った記憶だけが扁桃体の関与によって早期から残るのですから、早期の記憶はたいていが嫌なものでしょう。
2歳の頃に父親が亡くなりその葬儀の光景を覚えている方がいました。白い死に装束を着て、頭に三角の頭巾をつけていた父親の姿です。
大正11年7月生まれで、大正12年の9月1日の関東大震災の時の記憶がある方がいます。タンスが揺れてそこから物が落ちてきた光景をありありと覚えているそうです。満1歳2カ月の記憶ということなります。
三島由紀夫の「仮面の告白」には、産湯の記憶が書かれています。「金のたらいの縁が光った」そうです。
子宮の中にいた頃の記憶があるという方もいます。
一番最初の記憶について尋ねる場合があります。その記憶がトラウマに関係している場合があります。保育園で大泣きをした光景を覚えている方で、その後不登校になった方がいましたが、関係あるかもしれません。
あまり小さい時の記憶がない人の方が、健全なんだと思います。
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