さなぎ日記:あさなぎクリニック心療内科のブログです。こころの健康、コミュニケーション、おいしいお店や、映画のことも。

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「人間を幸福にしない日本というシステム」 by カレル・ヴァン・ウォルフレン 

「人間を幸福にしない日本というシステム」 by カレル・ヴァン・ウォルフレン  サムネイル画像
「人間を幸福にしない日本というシステム」 by カレル・ヴァン・ウォルフレン市民とは政治的に意味をもち、世界がどう組織されるかは自分の行動にかかっていると自らに言い聞かせる人間である。日本では民主主義はまだ実現しておらず、「偽りの現実」を見ている。「しかたがない」と言うことは、政治的な主張である。それを言うたびに、変革は不可能だと認めることになる。勇気をもって、「しかたがない」という言葉を追放しなけれ...全文を表示
「人間を幸福にしない日本というシステム」 by カレル・ヴァン・ウォルフレン


市民とは政治的に意味をもち、世界がどう組織されるかは自分の行動にかかっていると自らに言い聞かせる人間である。

日本では民主主義はまだ実現しておらず、「偽りの現実」を見ている。

「しかたがない」と言うことは、政治的な主張である。それを言うたびに、変革は不可能だと認めることになる。勇気をもって、「しかたがない」という言葉を追放しなければならない。

日本の最大の問題は、市民に選ばれていない(単に東大に入ることができただけの)官僚が、日本を支配していることだ。

政府の官僚は、業界団体を通じて、あらゆる業界に命令でき、政府と民間の区別ができない程に、社会のほとんどが政治システムに組み込まれている。

日本と欧米の先進工業国との違いは、日本には、政治に影響をもつ中流階級がほぼ完全に欠落していることである。

戦後の日本は、「奇跡の経済」と中流階級の抑圧という2つのことを成し遂げた。それは経済団体と系列企業という経済構造によってもたらされたが、それは同時に家庭生活の質や個人の人格形成に大きな影響を及ぼした。

その一つが教育だ。日本の教育制度は経済組織の利益に合致するように設計されている。

責任には2種類ある。

「責任」(responsibility) と「説明責任」(accountability) だ。

レスポンシビリティとは、自分の決断や行動の重要性を考えて、軽々しく扱わないことだ。日本の官僚はこちらの責任感はあるが、アカウンタビリティに欠けている。

それは、自分達の行動の理由を、所属する省庁以外の人に説明するように求められないからだ。

日本はうわべだけのだけの民主主義国で、実際には「官僚独裁主義」だ。他の独裁政治体制と違って、権力が一人の人間に集中していないけれど。

日本の司法制度も官僚に支配されている。最高裁判所は、実際上は同裁判所の事務総局に支配されており、その事務総局は法務省の保守的な官僚に支配されているからだ。

(要約者注:大日本帝国憲法の時代には裁判所は司法省が支配しており、司法省では「検尊判卑主義」が公然と囁かれており、判事は検事よりも格下だった。その司法省の機能を受け継いだのが最高裁判所事務総局だ)

日本では社会秩序が正義より重要視される。従って現状維持が何よりも重視される。



以上。第1部の要約です。

元々日本には民主主義はなく官僚独裁主義でした。菅義偉さんは、人事権を武器に、官僚から権力を奪取しようとしています。その意味ではクーデターかもしれません。

その企てが成功すると、通常の(=北朝鮮のような)独裁国家が生まれます。もっとも、それまで官僚が担っていた秩序は崩壊してしまいますが。

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「人間を幸福にしない日本というシステム」 by カレル・ヴァン・ウォルフレン


市民とは政治的に意味をもち、世界がどう組織されるかは自分の行動にかかっていると自らに言い聞かせる人間である。

日本では民主主義はまだ実現しておらず、「偽りの現実」を見ている。

「しかたがない」と言うことは、政治的な主張である。それを言うたびに、変革は不可能だと認めることになる。勇気をもって、「しかたがない」という言葉を追放しなければならない。

日本の最大の問題は、市民に選ばれていない(単に東大に入ることができただけの)官僚が、日本を支配していることだ。

政府の官僚は、業界団体を通じて、あらゆる業界に命令でき、政府と民間の区別ができない程に、社会のほとんどが政治システムに組み込まれている。

日本と欧米の先進工業国との違いは、日本には、政治に影響をもつ中流階級がほぼ完全に欠落していることである。

戦後の日本は、「奇跡の経済」と中流階級の抑圧という2つのことを成し遂げた。それは経済団体と系列企業という経済構造によってもたらされたが、それは同時に家庭生活の質や個人の人格形成に大きな影響を及ぼした。

その一つが教育だ。日本の教育制度は経済組織の利益に合致するように設計されている。

責任には2種類ある。

「責任」(responsibility) と「説明責任」(accountability) だ。

レスポンシビリティとは、自分の決断や行動の重要性を考えて、軽々しく扱わないことだ。日本の官僚はこちらの責任感はあるが、アカウンタビリティに欠けている。

それは、自分達の行動の理由を、所属する省庁以外の人に説明するように求められないからだ。

日本はうわべだけのだけの民主主義国で、実際には「官僚独裁主義」だ。他の独裁政治体制と違って、権力が一人の人間に集中していないけれど。

日本の司法制度も官僚に支配されている。最高裁判所は、実際上は同裁判所の事務総局に支配されており、その事務総局は法務省の保守的な官僚に支配されているからだ。

(要約者注:大日本帝国憲法の時代には裁判所は司法省が支配しており、司法省では「検尊判卑主義」が公然と囁かれており、判事は検事よりも格下だった。その司法省の機能を受け継いだのが最高裁判所事務総局だ)

日本では社会秩序が正義より重要視される。従って現状維持が何よりも重視される。



以上。第1部の要約です。

元々日本には民主主義はなく官僚独裁主義でした。菅義偉さんは、人事権を武器に、官僚から権力を奪取しようとしています。その意味ではクーデターかもしれません。

その企てが成功すると、通常の(=北朝鮮のような)独裁国家が生まれます。もっとも、それまで官僚が担っていた秩序は崩壊してしまいますが。

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