さなぎ日記:あさなぎクリニック心療内科のブログです。こころの健康、コミュニケーション、おいしいお店や、映画のことも。

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「複製技術時代の芸術作品」 by ヴァルター・ベンヤミン・1936年

「複製技術時代の芸術作品」 by ヴァルター・ベンヤミン・1936年 サムネイル画像
ヴァルター・ベンヤミンは、写真や映画などの複製技術によって、芸術作品から「アウラ」が剥ぎ取られていく過程を考察しました。コピーによって、今そこにしか存在しないというオリジナルの価値は減りました。ここで減ったものが「アウラ」です。かつての「アウラ的芸術」は、礼拝の対象でした。それが、ルネサンス以降はタブローや胸像などの展示しやすい方式となり、多くの人が非宗教的に鑑賞できるようになりました。芸術が礼拝...全文を表示
ベンヤミン (1)


ヴァルター・ベンヤミンは、

写真や映画などの複製技術によって、芸術作品から「アウラ」が剥ぎ取られていく過程を考察しました。

コピーによって、今そこにしか存在しないというオリジナルの価値は減りました。ここで減ったものが「アウラ」です。

かつての「アウラ的芸術」は、礼拝の対象でした。それが、

ルネサンス以降はタブローや胸像などの展示しやすい方式となり、

多くの人が非宗教的に鑑賞できるようになりました。

芸術が礼拝的価値から展示的価値にシフトしたのです。

その一方で、

一部の芸術(家)は価値の基盤を政治に求めるようになりました。

映画を用いて、政治を芸術化することによってアウラを捏造し、人々を戦争へと導くファシズムが生まれたのです。

ベンヤミンはそんな政治の芸術化を批判し、

その反対に、芸術を政治化することを提唱しました。


芸術の政治化を、星野源さんは目指した(んじゃないかな)のに、それを利用して、

安倍晋三首相は、政治の芸術化をもくろんだわけです。

さんざん芸術を踏みにじってきたにもかかわらず、

と多くの表現者は腹を立てているわけです(多分)。

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ベンヤミン (1)


ヴァルター・ベンヤミンは、

写真や映画などの複製技術によって、芸術作品から「アウラ」が剥ぎ取られていく過程を考察しました。

コピーによって、今そこにしか存在しないというオリジナルの価値は減りました。ここで減ったものが「アウラ」です。

かつての「アウラ的芸術」は、礼拝の対象でした。それが、

ルネサンス以降はタブローや胸像などの展示しやすい方式となり、

多くの人が非宗教的に鑑賞できるようになりました。

芸術が礼拝的価値から展示的価値にシフトしたのです。

その一方で、

一部の芸術(家)は価値の基盤を政治に求めるようになりました。

映画を用いて、政治を芸術化することによってアウラを捏造し、人々を戦争へと導くファシズムが生まれたのです。

ベンヤミンはそんな政治の芸術化を批判し、

その反対に、芸術を政治化することを提唱しました。


芸術の政治化を、星野源さんは目指した(んじゃないかな)のに、それを利用して、

安倍晋三首相は、政治の芸術化をもくろんだわけです。

さんざん芸術を踏みにじってきたにもかかわらず、

と多くの表現者は腹を立てているわけです(多分)。

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